テーマ 「念仏〜今、私が出遇うべきもの」

「ひかりといのち きわみなき」


 ひかりといのちきわみなき あみだほとけをあおがなん

「和訳正信偈」
(わやくしょうしんげ)の冒頭の部分です。私にとってこの言葉は小さい頃から慣れ親しんだお経さまの言葉のひとつです。浄土真宗のお寺に生まれ育った私たち兄弟は,小さいときは祖父と一緒に夕方にお御堂でお経をあげるのが日課でした。普段は「正信偈」をあげていましたので「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と唱えていたのですが,小さい頃は言葉が難しく意味が全く分かりませんでした。しかし時々あげていたこの「ひかりと・・・」のフレーズはとても耳に馴染み心に残ったものです。

 顕浄土真実教行証文類(現代語版)によると,その意味は「限りない命の如来に帰命し,思いはかることのできない光の如来に帰依したてまつる」となっています。親鸞聖人が著わされた「教行信証」の中におさめられている讃歌である「正信偈」。その冒頭で親鸞聖人はご自身の信心をこれらのお言葉で表されたといえます。「阿弥陀仏」とは「限りのない命」と「限りのないひかり」である。そして「私」はそんな「阿弥陀仏」を深く信じ敬う。そういう聖人の決意が込められた言葉と言えるでしょう。

 一般的にいう「光」とは,辺りを明るく照らすもの,温かいもの,あるいはとても速いものというイメージをもっておられる方が多いと思います。また科学的な表現をすれば,まっすぐ進む直進性があること,反射や屈折といった性質があること,その速度は秒速30万kmほどのものであることなどが理科の教科書にも載っているところです。「光があたれば影ができる」「虫眼鏡で太陽の光を集めてみる」「太陽を背に水まきをすると虹ができる」などなど人々の好奇心をくすぐる現象や遊びも多く,「光」は一般の人々にとって子どもの頃から身の回りの日常であり,その概念は自然と備わっているものと思われます。がゆえに「阿弥陀仏」とは「ひかり」であるという言葉は,私たちを照らしてくれる温かいものというイメージをすぐさま思い起こしてくれるのではないでしょうか。

 「限りのない命」「限りのないひかり」。唯々手を合わさずにはいられない気持ちが湧いてくる不思議な感覚になりませんか。遙か昔よりこれから先永遠の未来まで私たちをずっと優しく温かく変わらずに照らし続けておられる,その光の中で私たちが「生かされてる」ことを実感していくことが大切ではないでしょうか。私はそのように感じます。「お経様」のお言葉は大変難しく「意味が分からない」と申される方もいらっしゃいます。「意味が分からずとも,ただ手を合わせて感じるだけでよいのでは」とおっしゃる方もおられます。この「和訳正信偈」のお言葉のように,私たちに分かりやすくイメージしやすいお言葉もございます。今一度,味わってみてはいかがですか。

法隆寺 茨田隆徳