テーマ 「念仏〜今、私が出遇うべきもの」

「自力・他力」


今日の星座の運勢は・・・今日の幸運な血液型は・・・
一般家庭に生まれ育った私は、会社に出勤する前、朝のテレビ番組で毎日のように流れる「占い」というのを見ておりました。自分の星座、自分の血液型の運勢が気になって仕方なかったのを覚えております。今日のラッキーカラーは青と言われれば青いものばかりのものを探し、ラッキーアイテムは黄色いネクタイと言われれば洋服箪笥から似合わない黄色いネクタイを探す。また、結婚式があればカレンダーを見て、大安や仏滅といった日の善し悪しを確認し、受験の時期には合格祈願をしに寺社仏閣へ参る。いつの間にかそのような認識が当たり前になっておりました。

親鸞聖人のご和讃に
「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ ト占祭祀つとめとす」
とございます。これは、悲しい事に僧侶も民衆もことあるごとに日の善し悪しを気にし、天の神、地の神を崇め、占いや祈りごとにいそしんでいる、という事です。
私自身もそうであったように、実生活において何かと様々な不安を抱えている中で、こうするといい事が起こる、これをしないと災いが訪れると言われれば、ついつい気にして、それにとらわれてしまう。それらに根拠が無くともそれを無条件に信じることが、心を落ち着かせるひとつの手段となっていたのかもしれません。

しかし、その運命論的なとらわれを親鸞聖人は「自力」と示されました。ここで言う「自力」とは一般的に使われている自分の力(主体的努力)の事ではございません。聖人の「自力」とは「信罪福心(罪福を信じる心)」であると示されておられます。つまり、自身がいい事(福)をすれば都合の良い結果(ご利益)が起こり、悪い事(罪)をすれば悪い結果(罰)が起こると信じ、これにとらわれる自身の心を「信罪福心」と呼び、これこそが「自力」であると。

親鸞聖人の示された「他力」はその運命論的な「自力」から離れ、我が身の真実・真理に気付き目覚めよという「仏教の願い」に帰することです。
我々の人生は、自分にとって良いこともあれば悪いこともある、自分の思い通りにはなかなかいきません。それは良いことも悪いことも、様々な縁によって成り立っている我が身であるからです。

我々のお念仏は、何か自分の欲を充足させる為に称えるものではございません。「他力」である「願い」のカタチで顕わさられた「如来の本願」を通じ、世の真実・真理に気付き、それに帰して生きることが「お念仏」の道であることでしょう。

                                     合掌

満足院  二條 和順