テーマ 「念仏〜今、私が出遇うべきもの」

「小さな手を合わせて大きな「なんまんだぶ」」


住職であった父が亡くなり、あとを継いでから早5年を迎えようとしています。父は生前中、私に面白い話やとてもためになる話、まぁどうでもいい話など、いろんな話をしてくれました。そんな中で大切な事をひとつ教えてもらいました。それは「回向(えこう)」についてでした。

回向とは「まわして向ける」と書きます。誰が誰に何を回し向けるのか?。私たち浄土真宗で称えるおなじみの回向文に、「願以此功徳(がんにしくどく)  平等施一切(びょうどうせいっさい)  同発菩提心(どうほつぼだいしん)  往生安楽国(おうじょうあんらくこく) 」とあります。善導大師が書かれた「観無量寿経疏」の中のお言葉です。たいてい御経などに続けて最後にとなえますが、これは「長かったお経がやっと終わるぞ」とホッとする合図ではありません。ホッとするのも大切ですが、この回向文にはもっと大切な意味が込められているのです。

書き下すと、「願わくばこの功徳をもって、平等に一切にほどこし、同じく菩提心を発(おこ)して、安楽国へ往生せん」となります。意味として味わうなら、「阿弥陀さまからいただいた信心をもって、自分だけではなく、周りのすべての人と一緒に浄土へ往生させていただくことを願う心をおこす」ということでしょうか。大事なのは、この私が周りの人と共に浄土へ往生したいと願うという事だけでおわるのではなく、実はその願い自体が阿弥陀さまからこの私に回して向けられた、「阿弥陀さまの願い」である事に気づいていくことでしょう。

さて、私は住職というせっかくのご縁をいただいたのだから、ご門徒さんに仏法の素晴らしさを伝えたい、少しでも安心していただきたいという思いで仏事をとりおこなってきました。しかし、知らず知らずのうちにそれは「この私がご門徒さんに阿弥陀さまの願いを回向している」という気持ちで満足していたのかもしれません。

 先般、ご門徒さんの小学生のお子さんが亡くなられるという大変痛ましいことがありました。悲しみにくれるご両親やご家族を前に、「少しでもなんとかしてあげたい」という思いでいましたが、正直、かける言葉すら見つかりませんでした。あまりにつらく悲しい現実を目の前に、何もしてあげることのできない自分の無力さを痛いほど思い知らされました。
 お通夜、お葬式が終わり、お寺での納骨の法要が終わるころ、一緒にお参りに来られていた、亡くなられた子の小さな弟さんが、「なんまんだぶなんまんだぶ」とたどたどしくもしっかりとしたお念仏を称えて小さな手を合わせる姿がそこにありました。その姿を見てハッとしました。その子がお念仏を称えている姿は、お兄ちゃんの死をご縁に、阿弥陀さまからの願いが回向されたものであること。そしてその願いが、そのままこの私にも回向されていること。それまでは私の力でなんとかしてあげたいと無意識に思っていましたが、既に、こうして阿弥陀さまの願いがみんなにそれぞれちゃんと届いていることに気がつきました。小さな両手を合わせるその子の姿からは、量りしれない大きな慈悲があふれでて、私たちみんなを包み込んでくださっているようにみえました。

 悲しみを悲しみのままで終わらせない阿弥陀さまのお慈悲、そしてこの私にその大切な事を知らしめてくださった事を心から感じた、悲しくもとても有難いご縁でありました。

私たちには、阿弥陀さまの智慧と慈悲の願いが回向され、「南無阿弥陀仏」のお念仏としていつも、いつまでも、しっかりと届いてくださっているのです。

合掌 

善福寺 安野元紹