持法会御書

平成30年 持法会御書

本日、ここに慈光照護のもと、持法会に御参集頂きました事、嬉しく存じます。

皆様には平生より法義相続、並びに寺院護持にお力添えを頂き有り難く存じます。

お陰様で、前回お伝えした第二十九代法主『聞思念院殿秀政上人十七回忌』並びに、第二十八代『仰威徳院殿秀淳上人三十三回忌』の年回法要を昨年九月三日に滞りなく厳修致しました。当日は有縁の方々のご参詣を頂き、共に御法要をお迎え出来た事を嬉しく存じます。

また、本日御参集の皆様におかれましても、過去に往生の素懐を遂げられたお身内の方々を偲びつつ、今一度、自他のいのちの尊さに思いを致し、仏恩報謝の日暮らしを篤くお続け頂く事を念ずる次第で御座います。

我々仏教では『生老病死』の四苦を説きますが、この娑婆世界に生を受けた以上、そこには誰しもが向き合わねばならない『老病死』の根源的な苦が厳然と存在しております。特に、我が身に起こる事は『仏説無量寿経』に『独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る』とあるように、決して他に取って代われない事であり、しっかりと向き合わねばならない大きな問題です。

我々凡夫の心は常々「貪欲、瞋恚、愚痴」の三毒に惑わされ、これらの問題に目を背けながら歩んでしまいますが、自身の心の有り様を真摯に見つめた時、そこに問い続けていかねばならないものがあります。そしてこれら根源的な苦の問題に、いかに向き合い解決していくのか、その道を教えて下さるのが仏様の御教えであります。

親鸞聖人は御和讃にて『生死の苦海ほとりなし 久しくしづめるわれらをば 弥陀の悲願のふねのみぞ のせてかならずわたしける』と詠われました。阿弥陀様は、生死の苦海に浮き沈みする我々凡夫を憐愍し、大慈大悲によってお救い下さいます。そのおはたらきは、永遠の過去より未来まで絶える事無く常に私達に届いて下さっています。

日々、煩悩に惑わされ、己の分別を頼りにしながら人生を歩んでいる「邪見驕慢悪衆生」の私達凡夫だからこそ、常に照らされる阿弥陀如来のお慈悲に思いを致し、弥陀の本願のおいわれを領解し、報恩謝徳のお念仏を申す道を歩ませて頂きたいもので御座います。

是非とも本日御参集の皆様方も、仏恩の深き事を偲びつつ、お念仏と共に日々の報謝の日暮らしをお続け頂きますよう、念じ上げる次第でございます。

合掌     

南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

平成三十年 誠照寺 法主 釋秀瑞